「珠莉から教えてもらったんだけど、愛美ちゃんの名前って〝愛されて美しい〟って書くんだよね? そんなキレイな名前、君のことを大事に思ってなければ付けられないよ、きっと」「……はあ」「ほら、『名前は両親が我が子に与える最初の愛情だ』っていうだろう? 〝愛美〟って名前、すごくステキだね。僕は好きだな」「あ…………、ありがとうございます」(なんか……すごく嬉しい。お父さんとお母さんのこと、こんなに褒めてもらえて) それに……、愛美は純也に初めて会った時から、心が妙にザワザワするのを感じていた。 まだ名前も分からないこの感情は、一体何なんだろう――? と。「こんなに可愛い一人娘を遺して亡くなってしまって。ご両親はさぞ無念だったろうなあ……」「…………可愛いだなんて、そんな。でも嬉しいです」(――あ、まただ。何だか胸がキュンって。コレって何? わたし、どうなっちゃってるの?) 彼に優しい言葉をかけられるたび、笑いかけられるたびに、愛美の心はザワつく。 でも、それは決して不快ではなくて。むしろ心地よい感覚だった。 * * * * ――信じられないことに、注文した品を二人がすっかり平らげてしまった頃。「すみません、純也さん。わたし、ちょっとお手洗いに」「ああ、うん。どうぞ」 ――ものの数分で愛美が戻ってくると、純也はスマホに誰かからの電話を受けていたようで、せわしなく通話を終えようとしているところだった。「愛美ちゃん、すまない。僕はここの支払いを済ませたら、急いで帰らなきゃならなくなったんだ。だから今日、珠莉に会う暇がなくなった」「えっ、そうなんですか? 大変ですね」 純也は急いで席を立つと、レジで二人分の支払いをしてくれた。愛美も後ろからついていく。「愛美ちゃん、今日はありがとう。楽しかったよ。珠莉によろしく伝えておいてくれるかな?」「はい、もちろんです」「よろしく頼むよ。じゃあまた」「……はい。また」 純也は車が迎えに来るらしく、駆け足で校門の方まで行ってしまった。(…………また? 〝また〟ってどういうこと?) 彼をポカンと見送っていた愛美は、首を捻った。 普通に考えたら、今日は会えなかった姪の珠莉に会うために〝また〟来るという意味だろう。でも、もしもそういう意味じゃないとしたら……。
(……なんて考えてる場合じゃなかった! 珠莉ちゃん待たせてるのに!) しかも、彼女に会わずに純也は帰ってしまった。どちらにしても、怒られることは予想がつく。けれど、彼女の元に戻らないわけにもいかない。(はぁー……、珠莉ちゃんになんて言い訳しよう?) 足取り重く、愛美が寮に帰っていくと、ちょうど補習授業を終えたさやかと珠莉も戻ってきた。「愛美ー、おつかれ。補習終わったよー」「愛美さん、今日はどうもありがとう。ムリなお願いをしてごめんなさいね。――ところで愛美さん、純也叔父さまはどちらに?」(う……っ!) 珠莉に痛いところを突かれ、言い訳する言葉も思いつかない愛美はしどろもどろに答える。「あー……、えっと。なんか急に帰らないといけなくなったっておっしゃって、ついさっき帰っちゃった……よ」「はあっ!? 『帰られた』ってどういうことですの!? 私、言いましたわよね。補習が終わる頃に知らせてほしい、って」(ああ……、ヤバい! めちゃくちゃ怒ってる!) 怒られる、と覚悟はしていた愛美だったけれど、予想以上の珠莉の剣幕(けんまく)にはさすがにたじろいだ。「純也叔父さまはあの通りのイケメンですし、気前もいいしで女性からの人気スゴいんですのよ! あなた、叔父さまを横取りしましたわね!?」「別にそんなワケじゃ……。珠莉ちゃんには連絡しようとしたの。でも、純也さんに止められて」「純也さん!?」「まあまあ、珠莉。もしかしてアンタ、叔父さまにお小遣いねだろうと思ってたんじゃないの? だからそんなに怒ってるんだ?」 さやかは、珠莉が怒っている原因を「彼女自身が疚(やま)しいからだ」と見破った。「そ……っ、そんなんじゃありませんわ! さやかさん、何をおっしゃってるんだか、まったく」(こりゃ図星だな) さやかの読みは多分当たっているだろうと愛美も思った。「言っとくけど、純也さんとは学校の敷地内歩きながらおしゃべりして、カフェでお茶しただけだから。――おごってもらっちゃったけど」「なんですって!?」「はい、どうどう。――それより愛美、アンタ顔赤いよ? どしたの?」 さやかはまだ怒り狂っている珠莉をなだめつつ、愛美の変化にも気がついた。「えっ? ……ううん、別に何もないよ?」 慌ててごまかしてみても、愛美の心のザワつきはまだおさまらなかった。(ホン
「お帰りなさい。相川さん、現金書留が来てますよ」「わあ! 晴美さん、ありがとうございます!」 愛美は満面の笑みでお礼を言い、晴美さんから封筒を受け取った。開けてみると、中身はキッチリ三万五千円!「コレでやっと金欠から脱出できる~♪」 何せ、財布の中には千円札が二・三枚しか入っていなかったのだから。「――あ、それから。辺唐院さんには荷物が届いてますよ」「はい? ……ありがとうございます。――あら、純也叔父さまからだわ」 珠莉が受け取ったのは、レターパック。差出人は純也らしい。「えっ、純也さんから? 何だろうね?」 愛美もワクワクして、珠莉とさやかの部屋までついていった。彼女も中身が気になるのである。 何より、理由は分からないけれど気になって仕方がない純也(あいて)からの贈り物なのだから。……自分宛てじゃないけれど。「あら、チョコレートだわ。三箱もある。しかもコレ、ゴディバよ! 高級ブランドの」 開封するなり、珠莉が歓声を上げた。「えっ、マジ!? 一粒五百円もするとかいう、あの!? っていうか、なんであたしの分まで」「あ、待って下さい。メッセージカードが付いてますわ。――『金曜日はありがとう。珠莉と愛美ちゃんにだけお礼を送るのは不公平だと思って、珠莉のルームメイトにも送ることにした』ですって」「なぁんだ、義理か。でもあたし、チョコ好きだし。ありがたくもらっとくよ。でもコレ、もったいなくていっぺんには食べられないね。……ね、愛美?」「…………えっ? あー、うん。そうだね」 さやかに話を振られ、愛美の反応が1(ワン)テンポ遅れる。そこをさやかが目ざとくツッコんできた。「やっぱりヘンだよ、愛美。どうしちゃったのよ?」「うん……。ねえ、さやかちゃん。わたしね、金曜日からずっと純也さんのことが頭から離れないの。夢にも出てくるし、授業中にもあの人のことばっかり考えちゃって。……この気持ち、何ていうのかな?」 さやかはその言葉を聞いて、全てを理解した。「それってさあ、〝恋〟だよ。愛美、アンタは純也さんに恋しちゃったんだよ」「恋? ――そっか、これが〝恋〟なんだ……」 愛美もそれでしっくり来た。生れてはじめての感情なのだから、誰かに教えてもらわなければこれが何なのか分からないままだったろう。「にしても、初恋の相手が友達の叔父で、十三歳も
「大丈夫だって、愛美! アンタに打算なんてないでしょ? 彼がお金持ちだからとか、名家の御曹司(おんぞうし)だからって好きになったんじゃないでしょ?」「うん。それはもちろんだよ」 お茶代だって、金欠でなければ自分の分は払うつもりでいたのだから。 「だったら可能性あるよ、きっと。だから自信持ってよ」「うん! ありがと、さやかちゃん!」 愛美は大きく頷くと、チョコレートの箱を大事そうに抱えて自分の部屋に戻った。 ――初めての恋。このドキドキの体験を、〝あしながおじさん〟に知ってもらいたい。愛美は便箋を広げ、ペンを取った。****『拝啓、あしながおじさん。 お元気ですか? わたしは今日も元気です。 この学校に入学してから早いもので一ヶ月半が経ち、学校生活にもだいぶ慣れてきたところです。 わたしは勉強こそできますが、どうも流行には疎いらしくて、クラスの子たちの話題になかなかついていけません。そんな時はさやかちゃんに訊いたり、スマホで調べたりするようにしてます。 ところでおじさま、聞いて下さい。わたし、どうも初めて恋をしてしまったみたいです。 お相手の方は、珠莉ちゃんの親戚で辺唐院純也さんという方。珠莉ちゃんのお父さまの一番下の弟さんだそうで、手短にいえば珠莉ちゃんの叔父さまにあたる人です。 彼はおじさまと同じくらい背が高くて、優しくて、ステキな方です。ご自身も会社の社長さんらしいんですけど、お金持ちであることをまったく鼻にかけたりしないんです。「むしろ、自分は一族の中で浮いてるんだ」なんておっしゃってたくらいで。 金曜日、学校を訪れた彼を、補習があって抜けられない珠莉ちゃんに代わってわたしが案内してさしあげて、学園内のカフェでお茶もごちそうになりました。 本当はわたし、自分の分だけでも払いたかったんですけど、残念ながら金欠で。一人分で千八百五十円もかかったんですもん。 ところが、彼は珠莉ちゃんに会う前に急にお帰りになることになっちゃって。わたしに「またね」っておっしゃって行かれました。 多分、本当は珠莉ちゃんに会いたくなかったんじゃないかとわたしは思ってるんですけど。どうやら彼は、珠莉ちゃんのことが苦手らしいので。 珠莉ちゃんは叔父さまに会えなかったから、わたしが叔父さまを横取りしたってめちゃくちゃ怒ってました。 あの叔父さまはもの
それ以来、珠莉ちゃんはわたしと口もきいてくれなかったんですけど。今日純也さんから「金曜日のお礼に」って高級なチョコレートが三箱届いて(さやかちゃんの分もありました)、すっかり彼女の機嫌は直ったみたいです。 わたしはというと、あの日からずっと純也さんのことが頭から離れなくて。夜眠れば夢に出てくるし、授業中もついついあの人の顔が浮かんできて、得意なはずの国語の授業中に先生の質問に答えられなくて注意されました。 こんなこと、生まれて初めての経験で。「これはなんていう感情なの?」って二人に訊いたら、さやかちゃんが教えてくれました。「それは〝恋〟だよ」って。 恋をするって、こういうことだったんですね。本では読んだことがあったけど、実際に経験するのはまた別の感覚です。ドキドキしてワクワクして、フワフワした気持ちです。 もちろん、おじさまはわたしにとって特別な存在です。なので、いつかおじさまもわたしに会いに学校まで来て下さらないかな。校内を案内しながらおしゃべりしたり、お茶したりして、わたしとおじさまの相性がいいのか確かめたいです。それで、もしも相性が悪かったら困っちゃいますけど、そんなことないですよね? おじさまはきっと、わたしを気に入って下さるって信じてます。 では、これで失礼します。大好きなおじさま。 五月二十日 愛美より 』**** 手紙の封をし終えると、愛美は純也が送ってくれたチョコレートを一粒口に運んでみた。「美味しい……。こんな美味しいチョコ食べたの初めてだ」 それが高級ブランドのチョコレートだからなのか、好きな人からの贈り物だからなのかは分からない。 でも、愛美はできれば後者であってほしいと思った――。
――六月。横浜もすっかり梅雨(つゆ)入りしており、茗倫女子大付属の制服も夏服――リボン付きの白い半袖ブラウスにグレーのハイウエストのジャンパースカート――へと衣替えした。「はい、愛美。じっとして、動かないで!」 ここは〈双葉寮〉の二〇七号室。さやかと珠莉の部屋である。 放課後のひととき、長い黒髪が自慢(?)の愛美は、さやかの手によってそのロングヘアーをいじられ……もといアレンジされていた。「――はい、できた! 愛美、鏡見てみなよ。すごく可愛くなったから」「えっ、どれどれ? ……わあ、ホントだ!」 さやかから差し出されたスタンドミラーを覗き込んだ愛美は、歓声を上げた。 鏡に写っている愛美の髪形は、プロの美容師がやってくれるような編み込みが入った可愛いヘアスタイルになっている。TVの中のアイドルや女優・モデルなどがよくしているのを、愛美も見ていた。「スゴ~い、さやかちゃん! 手先、器用なんだね。もしかして美容師さん目指してるの?」「ううん、そんなんじゃないんだけどさ。ウチ、小さい妹がいてね。中学時代はよく妹の髪いじってたんだ」 さやかの口から、父親以外の家族の話題が出たのは初めてだ。 「妹さん? 今いくつ?」「今年で五歳。この春から幼稚園に通ってるよ」「へえ……。可愛いだろうね」 愛美はそう言って、山梨にある〈わかば園〉の幼い弟妹たちに思いを馳(は)せた。 施設を出るまで、愛美がずっと世話してきた可愛い弟妹たち。みんな元気かな? 今ごろみんなどうしてるんだろう――?「――っていうかさ、愛美。たまには違うヘアースタイルにするのもいいもんでしょ? いつも下ろしてるから。暑くなってきてるしさ」「うん。たまにはいいかもね。だってわたし、中学の頃はずっと三つ編みかお下げしかしてなかったんだよ」「え~、もったいない。こんなにキレイな髪してるのに。好きな人もできたことだしさ、ちょっとはオシャレに気を遣ってもいいかもよ?」 さやかが茶化すように言って、ウシシと笑う。〝好きな人〟というフレーズに、愛美の顔が赤く染まった。 まだ恋を自覚して半月ほどしか経っていないのだ。しかも初恋なので、この状況に慣れるにはまだまだ時間がかかるのである。「もうっ! さやかちゃん、からかわないでよっ! わたし、まだ恋バナとか慣れてないんだから!」
「はいはい、分かった! 悪かったよ! でもあたし、アンタの髪いじるの楽しいんだ。だから、時々はアレンジさせてよね。だって、珠莉はイヤっしょ? あたしみたいな素人に髪いじられんの」 珠莉も少し茶色がかってはいるけれど、愛美に負けないくらいキレイなロングヘアーなのだ。さやかとしては、愛美と同じくらいいじり甲斐(がい)がありそうなのだけれど……。「ええ。私は行きつけのヘアサロンの美容師さんにしか、ヘアケアはお任せしませんの。私の髪はデリケートなのよ。素人が触ろうものなら、すぐに傷んでしまうわ」「……あっそ。だろうと思った」 当初は珠莉といがみ合っていたさやかも、もう二ヶ月もルームメイトをしていたらすっかり彼女の扱いに慣れたようだ。多少のイヤミや高飛車な態度くらいはスルーできるようになったらしい。「そういえば、もうじき夏休みですけど。お二人はご予定決まってらっしゃるの?」 珠莉がやたら得意げな顔で、二人に訊いてきた。これはもう、自慢話をする気満々だと、愛美にもさすがに分かる。「そういうアンタはとっくに決まってそうだね? 珠莉」「ええ。私はヴェネツィーアに行くんですのよー。ああ、今から楽しみだわー♪」「……ふーん。よかったね」 イタリアの都市ヴェネチアをイヤミったらしくイタリア語風に発音し、歌うように答えた珠莉を、さやかは鼻であしらった。「コレだからセレブは」とかなんとかブツブツ言っている。「さやかちゃんは?」「ああ、ウチは長瀞(ながとろ)でキャンプ。お父さんがキャンプ場の会員でね、毎年行ってんだ。あとは実家でまったり、かな」「へえ、キャンプか。いいなあ……」 愛美も実は、施設にいた頃に一度だけ、施設のイベントでキャンプをしたことがあるのだ。みんなで力を合わせて火をおこしたり、ゴハンを炊いたり、カレーを作ったり。すごく楽しかったことを覚えている。「愛美は? まだおじさまに相談してないの?」「うん……。もうそろそろ相談してみようかなーとは思ってるけど」 実は、つい数日前に〝あしながおじさん〟に手紙を出したばかり。その時には、夏休みをどうするか相談するのを忘れていた。(おじさまもお忙しいだろうし、あんまりしょっちゅう手紙出されても困っちゃうよね……)「最悪、寮に居残るのもアリかなーとも思ってたり」「ダメダメ! せっかくの夏休みなんだよ!?
「――あ、ゴメン! 電話かかってきてるみたいだから、わたしは部屋に戻るね! じゃあまた後で、ゴハンの時にねっ」「あー、うん……」(電話? 誰からだろう?) 愛美は首を傾げた。〝あしながおじさん〟からこのスマホを持たされてもう二ヶ月になるけれど、電話をかけてくるような相手に心当たりがない。 大急ぎで自分の部屋に戻り、おそるおそるディスプレイを確かめると――。(コレ……、山梨の番号だ。もしかして……) そこに表示されているのは、〇(ゼロ)五(ゴ)で始まる電話番号。山梨の番号で、愛美に思い当たるのは一件しかない。「……もしもし? 相川ですけど」『愛美ちゃん? 私、〈わかば園〉の聡美です。分かる?』 通話ボタンをタップして応答すると、聞こえてきたのは懐かしい、穏やかな年配女性の声。「園長先生!? お久しぶりです! でも、どうしてこの番号ご存じなんですか?」『田中さんがね、あなたにスマホをプレゼントしたっておっしゃってたから、一度かけてみようかしらと思ってね。……あら、〝あしながおじさん〟だったかしら?』 フフフッ、と茶目っ気たっぷりに笑う園長に、愛美はバツが悪くなった。「ゴメンなさい、園長先生! わたし、勝手にあの人にあだ名つけちゃったんです。まさか園長先生までご存じだったなんて……」『あらあら、謝ることなんてないのよ。あの方ね、「面白いニックネームをつけてもらったんですよ」って嬉しそうにおっしゃってたんだから。「僕より愛美ちゃんの方がネーミングセンスいいですね」って』「そうなんですか……」 怒られる、と身構えていた愛美は、逆に褒められて嬉しいやら照れ臭いやら。(でもおじさま、怒ってないんだ。よかった) 思えば、彼女が一方的につけたニックネーム。返事がもらえないから、相手の反応すら分からなかった。怒らせていたらどうしようかと、内心ヒヤヒヤしていたのだけれど。『どう? 学校は楽しい?』「はい。すごく楽しいです。お友達もできましたし、寮生活も初めての経験が多くてワクワクしっぱなしで。――みんなは元気ですか?」 まだ〈わかば園〉を巣立って二ヶ月ほどしか経っていないのに、愛美は兄弟同然に育ってきた他の子供たちのその後が気になっていた。『ええ、みんな元気にしてますよ。あなたがいなくなって、最初のころは淋(さみ)しがる子もいたけど、今はもう
* * * * というわけで、卒業式前の連休――というか厳密に言えば自由登校期間だけれど――の初日、二泊三日分の荷物を携えた愛美とさやかはJR長野駅の前に立っていた。「――愛美、あたしの分まで交通費全額出してもらっちゃって悪いね。でもよかったの?」「いいのいいの! わたし今、口座に大金入ってるから。ひとりじゃ使いきれないし、使い道も分かんないし」 冬休みに突然舞い込んできた二百万円というお金は、まだギリギリ高校生でしかも施設育ちの愛美にとってはとんでもない大金だった。作家として原稿料も振り込まれてくるけれど、さすがに百万円単位はケタが違う。印税でも入ってこない限り、そんな金額は目にすることがないと思っていた。「そっか、ありがとね」 多分、さやかもそんな大金はあまり見ないんじゃないだろうか。 そして、愛美に自分の分まで交通費を負担してもらったことを申し訳なく感じているだろうから、後で「立て替えてもらった分、返すよ」と言ってくるに違いない。その分を受け取るべきかどうか、愛美は迷っていた。 さやかの顔を立てるなら、素直に受け取るべきだろうけれど。愛美としては貸しにしているつもりはないので、返してもらうのも何か違う気がしているのだ。 それはきっと、もっと大きな金額を愛美に投資してくれている〝あしながおじさん〟=純也さんも同じなんだろうと愛美は思うのだけれど……。「――農園主の善三さんの車、もうすぐこっちに来るって。奥さんの多恵さんからメッセージ来てるよ」「そっか」 スマホに届いたメッセージを見せた愛美にさやかが頷いていると、二人の目の前に千藤農園の白いミニバンが停まった。助手席から多恵さんが降りてくる。「愛美ちゃん、お待たせしちゃってごめんなさいねぇ。――あら、そちらが電話で言ってたお友だちね?」「はい。牧村さやかちゃんです」「初めまして。愛美の大親友の牧村さやかです。今日から三日間、お世話になります」 さやかが礼儀正しく挨拶をすると、多恵さんはニコニコ笑いながら「こちらこそよろしく」と挨拶を返してくれた。「静かな場所で過ごしたくて、ここに来たいって言ったそうだけど、ウチもまあまあ賑やかよ。だからあまり落ち着かないかもしれないわねぇ」「いえいえ! 寮の食堂に比べたら全然静かだと思います。ね、愛美?」「うん、そうだね。多恵さん、ウ
――今年の学年末テストもバレンタインデーも終わり、卒業式が間近に迫った三月初旬。さやかが思いがけないことを愛美に言った。「卒業式前の連休、あたしも一緒に長野の千藤農園に行きたいな。愛美、執筆の息抜きに行きたいって言ってたじゃん」「えっ、わたしは別に構わないけど……。さやかちゃん、急にどうしたの?」 部屋の勉強スペースで執筆をしていた愛美は、キーボードを叩いていた手を止めて小首を傾げた。彼女が「千藤農園へ行きたい」なんて言ったことは今まで一度もなかったから。「いやぁ、愛美がいいところだって言ってたし、あたしも前から一度は行ってみたいと思ってたんだよね。純也さんのお母さん代わりだったっていう人にも会ってみたかったしさ。っていうかぶっちゃけ、最近食堂がうるさくてストレスなんだわ」「あー……、確かに。会話もままならない感じだもんね」 さやかも言ったとおり、最近〈双葉寮〉の食堂では特に夕食の時間、みんなが一斉におしゃべりをする声が大きくこだましてやかましいくらいである。隣り同士や向かい合って座っていても、話す時には手でメガホンを作って「おーい!」とやらなければ聞こえないのだ。そりゃあストレスにもなるだろう。「分かった、わたしから連絡取ってみるよ。この時期だと……、農園では夏野菜の苗を植え始めたりとかでちょっとずつ忙しくなるだろうから、一緒にお手伝いしようね。あと、純也さんと二人で行った場所とかも案内してあげる」「やった、ありがと! 野菜育てるお手伝いなら、ウチもおばあちゃんが家庭菜園やってるからあたしもよくやってたよ。じゃあ、連絡よろしくね」「うん」 愛美のスマホには、千藤農園の電話番号はもちろん多恵さんの携帯電話の番号も登録してある。愛美から連絡したら、多恵さんはびっくりしながらも喜んでくれるだろう。ましてや、今回は一人ではなく友だちも一人連れていくんだと言ったら、大喜びで歓迎してくれるだろう。「じゃあ、原稿がキリのいいところまで書けたら、さっそく多恵さんに電話してみよう」 という言葉どおり、愛美は執筆がひと段落ついたところで多恵さんの携帯に電話した。
* * * * 部活も引退したことで執筆時間を確保できるようになった愛美は、本格的に新作の執筆に取りかかることができるようになった。「――愛美、まだ書くの? あたしたち先に寝るよー」 〝十時消灯〟という寮の規則が廃止されたので、入浴後に勉強スペースの机にかじりついて一心不乱にノートパソコンのキーボードを叩き続けていた愛美に、さやかがあくび交じりに声をかけた。横では珠莉があくびを噛み殺している。「うん、もうちょっとだけ。電気はわたしが消しとくから、二人は先に寝てて」 本当に書きたいものを書く時、作家の筆は信じられないくらい乗るらしい。愛美もまさにそんな状態だった。「分かった。でも、明日も学校あるんだからあんまり夜ふかししないようにね。じゃあおやすみー」「夜ふかしは美容によろしくなくてよ。それじゃ、おやすみなさい」 親友らしく、気遣う口調で愛美に釘を刺してから、さやかと珠莉はそれぞれ寝室へ引っ込んでいった。「うん、おやすみ。――さて、今晩はあともうひと頑張り」 愛美は再びパソコンの画面に向き直り、タイピングを再開した。それから三十分ほど執筆を続け、キリのいいところまで書き終えたところで、タイピングの手を止めた。「……よし、今日はここまでで終わり。わたしも寝よう……」 勉強部屋の灯りを消し、寝室へスマホを持ち込んだ愛美は純也さんにメッセージを送った。 『部活も引退したので、今日からガッツリ新作の執筆始めました。 今度こそ、わたしの渾身の一作! 出版されたらぜひ純也さんにも読んでほしいです。 じゃあ、おやすみなさい』 送信するとすぐに既読がついて、返信が来た。『執筆ごくろうさま。 君の渾身の一作、俺もぜひ読んでみたいな。楽しみに待ってるよ。 でも、まだ学校の勉強もあるし、無理はしないように。 愛美ちゃん、おやすみ』「……純也さん、これって保護者としてのコメント? それとも恋人としてわたしのこと心配してくれてるの?」 愛美は思わずひとり首を傾げたけれど、どちらにしても、彼が愛美のことを気にかけてくれていることに違いはないので、「まあ、どっちでもいいや」と独りごちたのだった。 高校卒業まであと約二ヶ月。その間に、この小説の執筆はどこまで進められるだろう――?
――そして、高校生活最後の学期となる三学期が始まった。「――はい。じゃあ、今年度の短編小説コンテスト、大賞は二年生の村(むら)瀬(せ)あゆみさんの作品に決定ということで。以上で選考会を終わります。みんな、お疲れさまでした」 愛美は部長として、またこのコンテストの選考委員長として、ホワイトボードに書かれた最終候補作品のタイトルの横に赤の水性マーカーで丸印をつけてから言った。 (これでわたしも引退か……) 二年前にこのコンテストで大賞をもらい、当時の部長にスカウトされて二年生に親友してから入部したこの文芸部で、愛美はこの一年間部長を務めることになった。でも、プロの作家になれたのも、あの大賞受賞があってこそだと今なら思える。この部にはいい思い出しか残っていない。 ……と、愛美がしみじみ感慨にふけっていると――。「愛美先輩、今日まで部長、お疲れさまでした!」 労(ねぎら)いの言葉と共に、二年生の和田原絵梨奈から大きな花束が差し出された。見れば、他の三年生の部員たちもそれぞれ後輩から花束を受け取っている。 これはサプライズの引退セレモニーなんだと、愛美はそれでやっと気がついた。「わぁ、キレイなお花……。ありがとう、絵梨奈ちゃん! みんなも!」「愛美先輩とは同じ日に入部しましたけど、先輩は私にいつも親切にして下さいましたよね。だから、今度は私が愛美先輩みたいに後輩のみんなに親切にしていこうと思います。部長として」「えっ? ホントに絵梨奈ちゃん、わたしの後任で部長やってくれるの?」 いちばん親しくしていた後輩からの部長就任宣言に、愛美の声は思わず上ずった。「はい。ただ、正直私自身も務まる自信ありませんし、頼りないかもしれないので……。大学に上がってからも、時々先輩からアドバイスを頂いてもいいですか?」「もちろんだよ。わたしも部長就任を引き受けた時は『わたしに務まるのかな』ってあんまり自信なくて、後藤先輩とか、その前の北原部長に相談しながらどうにかやってきたの。だから絵梨奈ちゃんも、いつでも相談しに来てね。大歓迎だから」 「ホントですか!? ありがとうございます! でもいいのかなぁ? 愛美先輩はプロの作家先生だから、執筆のお仕事もあるでしょう?」「大丈夫だよ。むしろ、執筆にかかりっきりになる方が息が詰まりそうだから。絵梨奈ちゃんとおしゃべりして
それはともかく、わたしは園長先生から両親のお墓の場所を教えてもらって、クリスマス会の翌日、園長先生と二人でお墓参りに行ってきました。〈わかば園〉で聡美園長先生たちによくして頂いたこと、そのおかげで今横浜の全寮制の女子校に通ってること、そしてプロの作家になれたことを天国にいる両親にやっと報告できて、すごく嬉しかったです。 園長先生はさっそくわたしが寄付したお金を役立てて下さって、今年のクリスマス会のごちそうとケーキをグレードアップさせて下さいました。おかげで園の弟妹たちは大喜びしてくれました。まあ、ここのゴハンだって元々そんなにお粗末じゃなかったですけどね。 そしておじさま、今年もこの施設の子供たちのためにクリスマスプレゼントをドッサリ用意して下さってありがとう。もちろん、おじさまだけがお金を出して下さったわけじゃないでしょうけど。名前は出さなくても、わたしにはちゃんと分かってますから。 お正月には、施設のみんなで近くにある小さな神社へ初詣に行ってきました。やっぱりおみくじはなかったけど……。 もうすぐ三学期が始まるので、また寮に帰らないといけないのが名残惜しいです。やっぱり〈わかば園〉はわたしにとって実家でした。三年近く離れて戻ってきたら、ここで暮らしてた頃より居心地よく感じました。 三学期が始まったら、文芸部の短編小説コンテストの選考作業をもって文芸部部長も引退。そして卒業の日を待つのみです。わたしはその間に、〈わかば園〉を舞台にした新作の執筆に入ります。今度こそ出版まで漕ぎつけられるよう、そしておじさまやみんなにに読んでもらえるよう頑張って書きます! ここにいる間にもうプロットはでき上って、担当編集者さんにもメールでOKをもらってます。 では、残り少ない高校生活を楽しく有意義に過ごそうと思います。 かしこ一月六日 愛美』****
****『拝啓、あしながおじさん。 新年あけましておめでとうございます。おじさまはこの年末年始、どんなふうに過ごしてましたか? わたしは今年の冬休み、予定どおり山梨の〈わかば園〉で過ごしてます。新作の取材もしつつ、弟妹たちと一緒に遊んだり、勉強を見てあげたり。 施設にはリョウちゃん(今は藤(ふじ)井(い)涼介くん)も帰ってきてます。新しいお家に引き取られてからも、夏休みと冬休みには帰ってきてるんだそうです。向こうのご両親が「いいよ」って言ってくれてるらしくて。ホント、いい人たちに引き取ってもらえたなぁって思います。おじさま、ありがとう! お願いしててよかった! リョウちゃんは今、静岡のサッカーの強豪高校に通ってて、三年前よりサッカーの腕前もかなり上達してました。体つきも逞しくなってるけど、あの無邪気な笑顔は全然変わってなかった。「やっぱりリョウちゃんだ!」ってわたしも懐かしくなりました。 そして、わたしが今回いちばん知りたかったこと――両親がどうして死んでしまったのかも、聡美園長先生から話を聞かせてもらえました。 わたしの両親は十六年前の十二月、航空機の墜落事故で犠牲になってたんです。で、両親は事故が起きる二日前に、小学校時代の恩師だった聡美園長にまだ幼かったわたしを預けたらしいんです。親戚の法事に、どうしてもわたしを連れていけないから、って。でも、それが最後になっちゃったそうで……。 幸いにも両親の遺体は状態がよかったから、園長先生が身元
「わたしが作家になれたのも、その人のおかげなんだよ。だから、わたしも感謝してるの」「そっか。うん、めちゃめちゃいい人だよな。で、姉ちゃん。さっき言ってた『新作のための取材』ってどういうこと?」「あのね、新作はここを舞台にして書くつもりなの。ここにいた頃のわたしを主人公のモデルにして。……この施設がわたしの、作家としての原点だと思ってるから」 もし両親が生きていて、この施設で暮らすことがなかったとしたら、愛美は果たして「作家になりたい」という夢を抱いていただろうか……? そう思うと、やっぱり愛美の作家としての原点はここなのだと愛美は思うのだった。「オレも久しぶりに愛美姉ちゃんと過ごせて嬉しいよ。静岡に行って、高校に上がってから夏休みにもここに帰ってきてたけど、姉ちゃんがいないと淋しかったからさ。また一緒にサッカーの練習、付き合ってよ」「いいよ。でもリョウちゃん、サッカー上手くなってるからついて行けるかな……」 三年近く会っていない間に、彼のサッカーはグンと上達している。サッカーの強豪校に進学させてもらったからでもあると思うけれど、今の涼介に愛美はついて行けるかちょっと不安だ。「大丈夫だよ、一緒にボールを追いかけられるだけでオレは楽しいから」「そっか」 いちばん年齢の近かった涼介と再会できただけで、愛美はここを離れていた三年間という時間がまた巻き戻ったような気持ちになった。 * * * * その夜、〈わかば園〉では施設を卒業した愛美と涼介も参加してのクリスマス会が行われた。 今年のクリスマス会は、早速愛美が寄付したお金も使われたのか例年に増してケーキもごちそうも豪華になっていて、子供たちも大喜びだった。 そして、例年どおり〝あしながおじさん〟=田中太郎氏=純也さんを含む理事会から子供たちへのクリスマスプレゼントもどっさり用意されていて、「そうそう、これがここのクリスマスだったなぁ」と懐かしくなった。
* * * * 愛美は宿舎へ向かう前に、庭の方を通りかかった。サッカー少年の涼介が、今日もここでサッカーの練習をしているような気が下から。 今もこの施設に暮らす男の子たちに混ざって、高校生くらいの少年が一人、サッカーボールを追いかけながら走っている。愛美は彼の顔に、自分がよく知っている少年の面影を見た。「――あっ、やっぱりいた! お~い、リョウちゃーん!」 手を振りながら呼びかけると、驚きながらも手を振り返してくれた少年――小谷涼介は、身長が少し伸びて筋肉もついているけれど、顔は三年前とほとんど変わっていない。「愛美姉ちゃん! 久しぶり……っていうかなんでここに? ――あ、ちょっとごめん! お前ら、今日の練習はここまで。もうすぐ晩メシだから、ちゃんと手洗えよ!」 子供たちのコーチをしていたらしい涼介は、泥まみれになっている彼らに練習の終了を告げた。三年近くここに帰ってこない間に、彼もすっかり〝お兄さん〟になっていた。「リョウちゃん、元気そうだね。わたしもね、今年の冬休みの間はここで過ごすことにしたんだよ。新作のための取材も兼ねてるんだけど」「そっか。そういや愛美姉ちゃん、作家になったんだよな。おめでと。オレも本買ったよ。義父(とう)さんも義母(かあ)さんも、『この本は施設にいた頃のお姉ちゃんが書いたんだ』ってオレが言ったら二人とも買ってくれてさ。ウチにはあの本が三冊もあるんだぜ」「そうなんだ? リョウちゃん、すっかり新しいお家に馴染んでるみたいだね。よかった」 自分が〝あしながおじさん〟=純也さんにお願いして見つけてもらった涼介の養父母。彼がその家に馴染んでいるか、愛美はずっと心配だったけれど、彼の口ぶりからしてすっかり気に入っているようでホッとした。「うん。二人とも、オレにすごくよくしてくれてるよ。園長先生から聞いたんだけど、愛美姉ちゃんが理事の人に頼み込んで見つけてくれたんだよな? 姉ちゃん、ありがとな」「ううん、わたしはただお願いしただけで、実際に動いてくれたのはその理事の人だよ。わたしの時にも手を差し伸べてくれたから、リョウちゃんのことも何とかしてくれるかな……と思ってダメもとでお願いしたら、ちゃんとしてくれて。ホント、いい人でしょ?」 彼はお金を出してくれて終わりではなく、常に相手にとって最善の方法を見つけてくれる。 愛
愛美の答えを聞いた園長は、困ったような笑みを浮かべた。「……実はね、愛美ちゃん。辺唐院さんも今月の第一水曜日にここへいらした時、私におっしゃってたのよ。『どうやら彼女は、僕の正体に気づいているみたいです』って。あなたは頭のいい子だから、いずれはこうなると思ってらっしゃったみたいで。もしかしたら、あなたに本当のことを打ち明けるタイミングを計りかねている感じだったわ」「そう……なんですか? だとしたら、彼はいつごろわたしに打ち明けてくれるつもりなんだろう……?」 彼がタイミングを計っていることは間違いないだろうけれど。打ち明けると愛美と気まずくなるのを恐れて、なかなか打ち明けられないというのもあるのかもしれない。「――とにかく、今日から二週間はあなたも実家に帰ってきたつもりで、ここでお過ごしなさい。ちゃんと取材には応じてあげるから。あとは子供たちの相手をしてくれたり、事務作業を手伝ってくれると助かるけれど。それはあくまであなたの意思に任せるわね」「はい」「あなたはまた六号室で寝泊まりしてもらおうかしらね。みんな、愛美お姉ちゃんと一緒に寝るのを楽しみにしてるから」「分かりました。六号室かぁ……、懐かしいなぁ」 愛美はここを巣立っていくまでずっと、六号室で五人の幼い弟妹たちと過ごしていたのだ。あれから三年近く経って、あの子たちも大きくなったことだろう。幼稚園の年長組だった子も、小学三年生になっているはずだ。「あ、あとね、涼介君も今、施設に帰ってきてるのよ。引き取られた先のご両親が、夏休みと冬休みにはここに帰ってきてもいいっておっしゃったらしくて」「えっ、リョウちゃんも? 嬉しいな」「ええ。今夜はクリスマス会をやるから、愛美ちゃんも参加してね。涼介君も参加したいって言ってたから。お正月にはみんなでまた近くの神社へ初詣に行きましょうね」「はい!」 まるで自分の祖母のような園長とのやり取りで、愛美はあっという間に三年前に引き戻されたような懐かしい気持ちになった。このアットホームな雰囲気が、この園での生活が楽しいと感じたいちばんの理由だった。「――そういえば、その服の感じも懐かしいわね。愛美ちゃん、ここにいた頃もよくブルーのギンガムチェックの服を着てた憶えがあるわ」 園長はふと、愛美が着ているブルーのギンガムチェックのシャツを眺めて目を細める。ボト